アートが法律を超えた?日本・東京にも登場した「バンクシー」作品のヤバさを考察する

雑記
banksy.co.ukより引用

 

バンクシーといえば、ストリートアートやグラフィティという言葉を知らない人にとっても、”壁への落書き”をする人として、最も世に知れ渡っているアーティストの名前だと思います。

 

最近、日本にもバンクシーが現れた!!と話題になったのが、東京都内の防潮堤の扉に描かれた絵。

バンクシー作品ではよく登場するネズミをモチーフにしたものです。

界隈では”RAT with UMBRELLA in TOKYO”と呼ばれています(以下、面倒なので「RUT」とします)。

つい先日、イギリスの専門家がこのRUTを鑑定した結果、「110%本物だぜこりゃ!」というお墨付き(なぜ10%盛ったのかは定かでない)も出て、RUTが描かれた扉は引き続き東京都が保管することになったようです。

都内で見つかった落書き バンクシーの作品と英国で鑑定 - ライブドアニュース
バンクシーの作品ではないかと指摘されていた、都内で見つかった謎の落書き。バンクシー作品を所蔵する英の鑑定家は「これは100%本物です」と語った。「約2000万円から3000万円はすると思います」としている

 

この一連のニュース、というか騒動?について、

「バンクシーが日本に!すげぇ!」

という反応が多く見られた中、なかには

「都知事が落書きを公認かよ」

「有名なら何してもいいってことか」

といった批判的な意見も散見されました。

 

当たり前のことでアレですが、日本では落書きは「器物損壊」または「建造物損壊」という立派な犯罪です。

というか、犯罪だというのは世界中どこでも大体そうです。

 

通常、公共物に落書きがあった場合には、綺麗に掃除して終了です。

同種の事案が多発するようであれば、警察が捜査をするでしょう。

 

ところが、今回のバンクシー(と思われる者)が残した”落書き”については、東京都のトップである都知事が公認するようにも取れる発言をしたわけです。

 

批判的な意見を投げかけている人の多くはこの点に強い違和感を持っておられるのだと思います。

 

たしかに普通に考えればそうです。

 

誰かわからん人がテキトーに落書きしたら消されたり捕まっちゃうのが常識のはずなのに、バンクシー(らしい人)の絵だ!となった途端に何故かOKというのは、ちょっとおかしな話です。

 

小池都知事も、そりゃ都知事になるくらいですから相当に聡明な方です(当たり前ながら話したことないから知らんけど)。

当然、僕がここまで書いている内容なんて百も承知でしょう。

それにも関わらず、あえてTwitterで発信したことには、どんな意味があるのか。

法律を超えた芸術であるバンクシー作品のヤバさを、この辺から考察してみようというのが今回の内容です。

 

そもそも「バンクシー(Banksy)」って何者?

バンクシーは、イギリス・ロンドンを中心に活動する覆面芸術家です。

ロンドンの街中を適当に歩いていると、バンクシーの作品にばったり出くわす程度には街に馴染んでいるそう。

街中の壁にゲリラ的に絵を描くのが特徴で、反資本主義・反権力といった政治的メッセージが強いアートが多くあります。

壁に絵を描くというストリートアートまたはグラフィティの文化を世界的に広めた一人と言えるでしょう。

 

そんなバンクシーの作品ですが、中には、アートが消されたり上書きされるのを防ぐため、パネルで保護されているものもあるんだとか。

ロンドンで暮らしているとエリアを問わず、様々な場所でバンクシーが描いたグラフィティを見つけることができる。…(中略)…そうやって街中で見つけられる作品の中には、強化ガラスでカバーが取り付けられているものもあるというのが現状だ。街として彼の作品を維持していくという意志が感じられ、ストリートアートにある程度寛容なロンドン(特にイースト・ロンドン)でも、バンクシーは別格の待遇を受けていると言えるだろう。

なぜバンクシーだけが壁に描くことを許されるのか
先日イギリス東部の街に突如出現したバンクシーのグラフィティ。内容は移民問題への抗議であったが、このグラフィティを巡る反対派や行政の動きが現地で話題になった。グラフィティによって大金を生むようになったバンクシーに対する様々な角度からの意見を集め、バンクシーという存在の本質に迫る。

これはロンドンに限った話ではなく、世界中で描かれるストリートアートのうち特にバンクシーの作品については保護される傾向が強いです。

バンクシーの作品はなぜ保護される?

「なぜ、バンクシーの作品が保護されるのか?」

この点について考える場合には、作品に込められたメッセージ性だとか芸術性や歴史的価値の高さだとかよりも、ひとまず、「バンクシーの作品には人が集まるし、儲かるから」という経済的側面をシンプルに捉えるのが良いかもしれません。

 

バンクシーの作品がストリートにあるというだけで、それを見に来る人がいっぱいいます。

バンクシー巡りと称してロンドン観光をしている日本人も結構います。

バンクシーが壁に絵を書けば、それだけで観光資源になるわけです。

 

また、バンクシーの作品は非公式ながらかなりの展示会が世界中で開かれています。

結構な料金を取るにも関わらず、やっぱりたくさんの人が見に来るわけでして。

 

「それだけ金を生むんだから保護しとこうぜ」

という、ある意味当たり前の行動原理が働いているだけなのです。

(ちなみに、先日、サザビーのオークションで落札された「風船と少女」もとい「愛はゴミ箱の中に」は、こうした”芸術の資本主義化”への反逆を込めた作品だと言われています。が、ものは言いようで、単にバンクシーが仕掛けたイタズラだと片付けることもできてしまう……アートなんてそんなもんです。)
【作品解説】バンクシー「愛はごみ箱の中に」
『愛はごみ箱の中に』は2018年にサザビーズ・ロンドでバンクシーによって介入された芸術作品であり、介入芸術の代表作の1つ。 2006年にバンクシーが制作した風船少女シリーズの1つ『風船と少女』の絵画が、オークションで104万2000ポンドで落札された直後に介入された作品である。サザビーズは「美術史においてライブ・オーク...

 

バンクシーのアートは何が凄いの?

次に出るであろう疑問は「なんでそんなにバンクシーのアートって凄いの?」という点についてでしょう。

これに対して、芸術性やメッセージ性の高さ、ストリートアート全体に対する貢献など様々な側面から説明することは可能ですが、誤解を恐れずに超ざっくりまとめてしまえば

「それがバンクシーの作品だから」

という一点に尽きます。

なんだか禅問答みたいで恐縮ですが、あれこれこねくり回すよりは、これくらいシンプルに考えたほうが今回の内容に関しては余計な思考が入らずに済みそうです。

バンクシー作品の詳しい解説は、研究家の方に譲りたいと思います(というか僕の解説できる範疇を超えている)。

 

じゃあ東京のバンクシー作品はなぜ撤去/保護されたのか?

では、東京のバンクシー作品であるRUTに戻りましょう。

 

なぜ小池都知事はじめ、東京都はこの絵を保護したのか。

それはやっぱりバンクシー作品だからです。

バンクシー作品なので、消すという選択肢は取れません(←後でもう少し詳しめに考察します)。

 

ただ、そのまま防潮堤に残しておくのも別の意味でめんどくさそうです。

というのも、作品が描かれていた防潮堤の扉がある日の出駅周辺には、目立った施設がシンフォニークルーズくらいしかありません。

あとは、日の出埠頭の倉庫群が広がっているだけです。

ここに見物客が集まっても、経済的にはあまり価値を生まないでしょう。

一方、日の出駅前(下?)は片側2車線の道路で、車の交通量もそこそこあります。

また、日の出駅は汐留駅からゆりかもめで2駅とアクセスしやすく、仮に作品をそのままにしておくとすれば多くの見物客が押し寄せると予想されます。

そうすると、(作品が描かれていた防潮堤がどこにあるか、正確な位置までは把握していませんが、)周辺で混雑に起因する事故が起きる可能性も考えなければならず、これを未然に防ぐためにある程度コストをかけなければなりません。

ここまで考えれば自ずと結論は出ますよねって話で、ただ費用がかさむだけの代物をそこに残しておくメリットは都にとって無いわけです。

したがって、「大騒ぎになる」ため外した担当者の判断は至って合理的といえます。

 

「落書きは犯罪なんだから機械的に処理して消すべき」論について

とはいえ、やっぱ犯罪であることに変わりはありません。

先ほどまでの話は経済的に考えれば合理的だよねって話で、

「法律のお話になったときに統一性がないじゃねーか!結局は有名なら良いのかよ?!」

という点については何も説明できていません。

 

こちらの指摘に対するざっくりした回答は、

「別に都としては困ってないし、表現したいことがあるなら、まあいいよ」

です。

 

都は絵を「放置」していた

実は、この絵は少なくとも2009年には存在が確認されています。

都によると、防潮扉に絵が描かれていることは、約10年前(2009年頃─筆者注─)から職員が把握していた

都所有の防波堤にバンクシーの絵? 都鑑定進める:イザ!
世界各地に神出鬼没に現れ、壁や路上に社会風刺的な絵を残す英国の覆面アーティスト、バンクシーの筆致とよく似た絵が東京都内で見つかったことが17日、都への取材で分か…

(ちなみに、この絵自体は2003年にバンクシーが描いたと推察されています。)

とすれば、すでにその段階で絵を消してしまっても良いはずで、今も残っていることの方がおかしい。

 

じゃあ都が把握していたにも関わらずなぜ絵を消さなかったのかといえば、それは「別に困っていないから」です。

 

商店街のシャッターにタギングされて景観が損なわれて困る、という話は割とどこでもありますよね。

(下北沢一番街商店街HPより引用)

こういう落書きは放置しておくと周辺の治安が悪くなり犯罪率が上がることも分かっているので、こうした落書きは自治体にとって”困る”ことです。

 

これに対してRUTは、防潮堤の扉という人目につかないところで、絵自体も小さく、一般的にもアートとして認識できるような絵なので、そこにRUTがあろうが別に困らないわけですよ。

というのが主だった理由だと思います。

 

バンクシーに関する憲法上のややこしい問題

で、もう一つ、こちらは邪推かもしれませんが、法律的な議論をするのであれば、消しちゃうと表現の自由が一応は問題になって面倒くさそうだから、という理由も考えられます。

 

表現の自由というのは、憲法で保障された権利の一つです。

「誰でも好きにモノを言ったり描いたり表現していいですよ、ただし他にあんまり迷惑かけないでね」

というものです。

 

この権利があるので、僕はこうして自由にブログを書けますし、Twitterで戯言をつぶやくこともできています。

表現の自由がない世界では、「お前のブログ、なんか小池都知事のこと悪く書いてるから削除なw」と言われて勝手に記事が消されたり「反逆罪で逮捕なw」なんてことになるかもしれません。

 

もちろん、なんでも自由に表現できるわけではなくて、犯罪予告を掲示板に書き込めば警察が来ることもありますし、誇大広告をすればお咎めが来ることだってあります。

でも、それは「他の人にがっつり迷惑をかけてるから」であって、原則は自由に表現して良いというのが僕たちの持っている”表現の自由”という権利です。

 

落書きは景観を汚したり、犯罪を誘発したりという迷惑をまわりにかけているので、それを消すことも正当化できます(厳密に言うともう少し議論が必要な部分ですが、本筋から外れるので省略します)。

一方、RUTはそういった性質のものではありません。

なので、行政が一方的に消してしまうと、憲法問題になってしまう可能性がちょこっとあります。

 

しかも、今回のケースでは、「RUTはバンクシーが描いたのではないか」というのがスタートだったので、余計ややこしくなっています。

 

バンクシーが描くストリートアートは、先に触れたとおり、政治的メッセージの強いモノが多くあります。

表現の自由という権利の主な目的は、こうした政治的メッセージを自由に発信できるよう僕たちを守ることにあります。

つまり、RUTをバンクシーが描いたとなれば、

「これは単なるネズミの絵ではなく、何か政治的なメッセージが隠されているかもしれない」

となり、そんな絵を消そうものなら表現の自由を正面から制限しとるやないかい!となって炎上してしまう危険があります。

こうした事態を回避するためには、絵を消すわけにはいかないのです。

憲法の話で炎上するより、現状のように「法律ちゃんと適用せいや!」という方向で炎上していたほうがマシです。

(「バンクシーが描いたなら、その場にそのアートがあることが重要なので、撤去などもっての外だ」という意見も見かけますが、安全上の理由も考えると、次善の策として絵を消さずに撤去したのも納得という感じがします。)

 

小池都知事はなぜツイッターで発信した?

さて、ここまで来たらもう一歩です。

小池都知事が、わざわざ”落書き”であるRUTを公認するような発信をした真意は何か。

「単に小池都知事が無知だった」

「バンクシーというだけで飛びつくミーハーだった」

で済むならそれで終わりですが、せっかくここまで考察したので、ちゃんと考えてみようぜって話です。

 

小池都知事がこの件をツイートしたのは、「日本でもアート文化を発展させたい」からかもしれません。

 

日本はアート後進国なんです

日本は、先進国の中では「アート後進国だ」と言われます。

美術館が点在し、アートに触れようと思えばいくらでもその機会はあるものの、家にアートを飾っている人は少ないし、街中や普段の生活に溶け込んでいるわけでもなく、日常的にアートに触れる機会は少ないと言わざるを得ません(アニメ文化は置いとく)。

僕もそのうちの一人です。

バンクシーについても、今回の騒動が話題になるまで気に留めることもありませんでした。

 

ところが、今回の件で僕がこうして調べるに至ったように、多くの人にアートというものを考える機会が与えられました。

また、知事のツイートは、アート作品を表現する側にとってみれば、「ちゃんとしたアート作品は推奨します」と善解しうる発信です。

このように、アートを発信する人にとっても、アートを受け取る人にとっても、アートそれ自体を明確に意識させるキッカケになったのは、明白な事実です。

ちなみに、今回の件について”オープンな議論の場”を設けたいとする要望書への署名活動が行われています。
https://ratwithumbrellaintokyo.home.blog/こうした動きが出てきたのも、日本のアート文化にとっては前進といえるかもしれません。ただ、僕個人としては、撤去は合理的だと思っていますし、絵を何らかの形で公開するのはいいにしても、もとの場所に戻すのはちょっとなぁ…という立場です。
また、ストリートアートというのは”黙認”で育ってきた文化で多分にアングラな側面を含んでおり、こういう形でオープンに議論するというのは、ちょっと違う気もしています。

 

そんなわけで、小池都知事のツイートには、「日本でアート文化を発展させる力がある」かもよ、というのが、ここでの結論です。

 

まとめ:ときには法律を”超える”アートの力

ここまで考察してみると、なるほどバンクシーのグラフィティが世界的に愛されているのはちゃんと理由があるのだなと分かった気になってしまいます。

バンクシーをメディア戦略の点から考えると身も蓋もない話になりがちですが、そういった側面も含め、あらゆる面で考えられているからこそのバンクシーのアートなんだなと痛感しました。

バンクシー作品の凄さについて、「バンクシーが描いたから」の一言で片付けるという暴挙に出ましたが、もっとよく調べるとバンクシーの凄さをより深く知ることができます(おそらく小池都知事はじめ大多数の人はそこまでわかってない(し、僕もそうです))。

需要がありそうなら頑張ってまとめてみますが、おそらく僕の能力を超えていそうな気配です……。

 

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